伊予国から愛媛県へ 〜名前が変わったのはいつ?

目次
【歴史コラム】伊予国から愛媛県へ 〜名前が変わったのはいつ?その理由とは〜
「伊予国」って聞いたことありますか?
愛媛県に住んでいると、時々耳にするこの名前。では、「伊予国」から「愛媛県」に変わったのはいつ?どうして?
今回は、そんな歴史の豆知識をわかりやすくご紹介します😊
■ 江戸時代:伊予国は「藩」に分かれていた
江戸時代、現在の愛媛県の地域は「伊予国(いよのくに)」と呼ばれ、いくつかの藩に分かれて統治されていました。
- 松山藩(現在の松山市周辺)
- 宇和島藩(現在の宇和島市周辺)
- 大洲藩(現在の大洲市周辺)
- 新谷藩(現在の西予市周辺)
■ 明治時代:廃藩置県と県名の変更
明治4年(1871年)に実施された「廃藩置県」により、全国の藩がすべて廃止されて県へと再編されました。
伊予の地にも「松山県」「宇和島県」などの小さな県が生まれました。
■ 愛媛県の誕生は明治6年(1873年)
その後、県の統廃合が行われ、明治6年(1873年)2月に「愛媛県」という名称が正式に誕生しました。
つまり、伊予国から愛媛県へ変わってから、2025年でちょうど152年!
■ 「愛媛」という名前の由来
「愛媛(えひめ)」の語源は、古事記に登場する女神「愛比売(えひめ)」です。
「えひめ」は「やさしい女性」「愛らしい女性」という意味を持ち、愛媛の温暖でやさしい風土を象徴していると言われています🍊✨
■ まとめ
時代 | 地域名・行政区分 |
---|---|
江戸時代 | 伊予国(松山藩・宇和島藩など) |
1871年(明治4年) | 松山県、宇和島県などに分割 |
1873年(明治6年) | 愛媛県が誕生 |
■ 最後に
「伊予国」と「愛媛県」、どちらも私たちのルーツ。
普段何気なく使っている「愛媛県」という名前にも、こうした歴史の流れや思いが込められていると思うと、少し誇らしい気持ちになりますね😊
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