愛媛の誇り、秋山兄弟~歴史に名を刻んだ“ふたり”の男たち~

🌏世界を驚かせた兄と、文を愛した弟
~秋山好古・秋山真之兄弟~

秋山好古・秋山真之兄弟
▲ 愛媛が誇る歴史的偉人「秋山兄弟」

愛媛県松山市が誇る偉人といえば——秋山好古(よしふる)・秋山真之(さねゆき)兄弟

明治時代、日本が世界に名を刻む歴史の中で、軍事・文化の両面で大きな役割を果たしたこの兄弟は、今もなお多くの人々に尊敬され続けています。

👨‍✈️兄・秋山好古(よしふる)〜「世界に通じた日本騎兵の父」〜

秋山好古は1859年、松山に生まれました。
明治の日本陸軍で騎兵隊を率い、日露戦争ではロシア最強の騎兵部隊を打ち破る戦術家として名を馳せました。
海外の軍事教育も受けた経験から、日本式の近代騎兵を築き上げた「日本騎兵の父」と呼ばれています。

戦後はふるさと松山に戻り、旧制松山中学の校長として教育の道へ。
厳しくもあたたかな教育者として多くの若者たちを育てました。

📚弟・秋山真之(さねゆき)〜「知略と文を愛した軍人」〜

秋山真之は1868年、兄・好古の9年後に松山で誕生。
明治海軍のエリート将校として、日露戦争・日本海海戦の作戦参謀を務めました。
世界が驚いた勝利の裏にあったのが、真之の「戦略眼」だったのです。

また、戦略だけでなく文章にも優れ、「天気晴朗ナレドモ浪高シ」という名文も彼のもの。
戦う軍人でありながら、文を愛した知性派でもありました。

🌸正岡子規との青春、松山の誇り

秋山兄弟は、俳人・正岡子規とも交流がありました。
三人が過ごした青春時代の松山は、まさに歴史と文化が交差する街だったのです。

現在も松山市内には秋山兄弟の銅像や記念館があり、彼らの歩みを知ることができます。

✔️まとめ

  • 秋山好古:日露戦争で騎兵を率いた「日本騎兵の父」
  • 秋山真之:日本海海戦の作戦を立案した「知略の軍人」
  • ふたりとも松山出身、文化と教育にも貢献

💬最後に…

歴史の教科書では知っていても、「愛媛出身だった」と知ると一層誇りを感じませんか?
秋山兄弟のような偉人たちの存在を、次の世代にも伝えていけたら素敵ですね😊